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2014年01月10日

60年ぶりに、パーマをかけてきました。

2014.01.10



60年ぶりに、パーマをかけてきました。



わたくし、
先日は、パーマをかけてまいりました。


昭和29年(1954年)、
わたくしがちょうど二十歳のときに
「電髪」と呼ばれていたパーマを初めてかけて、
それ以来のことです。

「電髪」って、
ご存知ない?


「でんぱつ」って読んで、
いわゆるパーマのことなのですよ。

我が国日本では
1930年頃にパーマがかけられるようになり、
昭和10年代には大流行しました。


ところが、
戦争が勃発すると、
華美なおしゃれは相応しくないという日本軍部の圧迫により、
1939年(昭和14年)には国民精神総動員委員会が
「堅忍持久」
「ぜいたくは敵だ」
「パーマネントはやめましょう」
などという標語が出されました。

そして、
1940年(昭和15年)8月には
陸軍省情報部の命令として
パーマの自粛が求められ、
実質的にパーマが禁止されてまったのですよ。


ある町会では
「町会決議によりパーマネントの方は当町の通行をご遠慮ください」
と書かれた立て看板まで置かれたそうです。


なぜ、パーマがそこまで弾圧されたか?

やはり、
日本人の特徴である黒く真っ直ぐな髪の毛を
チリチリにウェーブをかけるのは、
敵国の真似をすることに他ならないからですよね。

それで、
敵国語であるパーマネントを言い換えて
「電髪(でんぱつ)」と呼んだのですよ。


あの頃、
わたくしは今でいう小学生。

学校では運動場を耕して、
薩摩芋の畑に替えてしまって、
ろくな勉強もせず、
毎日毎日、
竹槍を持って、藁人形を突き刺すという軍事教練ばかり。


「贅沢は敵だ」
なんて、言われなくても、
贅沢なんて、
逆立ちしたってできない状況でしたがねえ。。。


1945年(昭和20年)8月
「日本の敗戦」という大きな犠牲を払って、
やっと、戻ってきた平和。



我慢を重ねてきた女性の美に対する欲望が
一気に解放され、
電髪はアメリカのモダンな風俗として
昭和30年頃に最盛期を迎えたのです。



ということで、
ちょうど娘時代真っ盛りのわたくし小町も、
街の美容室で「電髪」をかけたのでした。


この「電髪」というのは、
上から電気のコードが
まるで蛸の脚のようにぶら下がっている椅子があって、
カーラーを巻いた髪の毛に繋がれた感じなのですよ。

あなたもきっと、
写真でごらんになったことがおありでしょう。


それで、
わたくしのヘアースタイル、
とっても、素敵な仕上がりでした。

と、いいたいのですが、
もともと癖っ毛があるわたくしには、
どうも合わなかったのですよ。

それで、
それ以降はパーマをかけたことがなかったのです。




また、
それがなんで今頃になって、
パーマをかけたのかですって?


あのねえ、
大きな声では言いたくないのだけど。。。

もそっと、
もそっと近う寄れ
なんちゃって。


ほら、
わたくし小町はもうすぐ八十路ですわよね。

やはりね、
80年も使ってますとね、
この体もあちこち
機能に支障も出てこようというものです。


御髪についてもね、
材料の量と質にね、
多少、問題点が生じてきたのでございますよ。

そこで、
前髪と頭頂部にパーマをかけたら、
ふんわりとして、
問題が軽減するというアドバイスを頂いたものですからね。


それで、結果は?

う〜ん、
やはり、ちょっと不満足。

髪の毛の長さと、
かかり具合に問題があったかもねえ。。。


それをピヨ子に報告したら、

「なあんだ、そんなことで悩んでるの?

悩めば悩むほど、ストレスでよくないよ。

きんさんぎんさんだって、
100歳過ぎてから髪の毛が増えたとか、
黒くなったとか言ってたじゃないの。

人の頭を見て笑うやつなんか、
ロクでもないんだから、
気にしない気にしない。

堂々として、
楽しいことをやってれば、
そのうちまた生えてくるよ」

ですって。

そうねえ、
楽しく歌ったり踊ったり、
美味しい物も食べたりしないとねえ。

ではまた、ごきげんよう。。。









posted by 八十路小町 at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 美容 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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