YouTubeを見ていたら、
貝掘りのアルバイトをしたことを思い出しました。
先日のピヨ子のメールでは、
YouTubeで、
わたくしの実家のある地域の動画が出ているのを
教えてくれたのですよ。
「これはどこ?」
そんな件名のメールだったので、
わたくしも思わず、
一番に開いてみました。
その動画はリモコン飛行機で
辺り一帯を撮影したものでした。
なんと、
懐かしいことに、
わたくしの生まれ育った場所が全部
空の上から見られたのです。
懐かしい海、
懐かしい川、
懐かしい田んぼ、
懐かしい神社、
もう懐かしいものばかり。
これは妹や友人にも教えてあげなくっちゃ。
そう思いながら、
何度も何度も繰り返して観て、
わたくしはすっかり子供の頃に帰っていました。
中でも特別に嬉しかったのは、
貝掘りをした辺りの風景です。
遠浅の海ですから、
貝がたくさん捕れたのですよ。
季節季節で、
その種類は違って、
あさり、
ばか貝、
とり貝、
まて貝、
しじみなど
本当にいろいろな貝が捕れました。
浜のある場所に、
しじみを育てているところがありました。
そこでは、
子供も大人も集まってきては、
しじみを捕るのです。
まず、
ザルを海底に沈めて、
足を一生懸命に動かして
ザルの中に精一杯沢山の土を入れるのです。
そして、
ザルを上げると、
貝がいっぱい入っているのです。
そこには
貝を買いに来る人がいるので、
捕った貝を売ります。
貝を捕ることは、
自分の家の食料になるばかりでなく、
小遣い稼ぎにもなるのでした。
わたくしもそうやって貝を捕って売ったお金で、
学校で必要なものや欲しいものや、
色々買ったものです。
中でも一番よく覚えているのは、
中学生の時に買った赤い帯です。
お気に入りで、
お嫁にも持ってきて、
今でも箪笥に入っていますよ。
あの頃の海は綺麗でしたね。
夏になると、
海で泳いだり、
もやっている船の下をくぐったり、
そんな遊びをしたものです。
いろいろな年齢のいろいろな家の子が集まって、
いろいろな遊びをして、
そうやって、
社会で生きていくための能力を
自然に身につけたように思いますね。
今は浅蜊が美味しい季節ですね。
そうだわ、
今度市場に行ったら浅蜊を買ってきましょう。
浅蜊のお汁は美味しいですからね。
そうそう、
貝類はタウリンも豊富で、
元気で長生きできるそうですよ。
ではまた、ごきげんよう。。。

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