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2015年07月03日

終戦後、女人禁制が解けた霊山に一番乗りで登りました。その1。

2015.07.03.

終戦後、
女人禁制が解けた霊山に一番乗りで登りました。
その1。


せっかくもうお山開きをしたのに、
雨の日が続きますね。


お山開きといえば、
わたくしには必ず思い出すことがあります。


それは終戦後に女人禁制が解けた霊山に
初めての女人として登ったことです。







あれは終戦の次の年でしたから、
わたくしが国民学校高等科の1年生のときのことでした。


わたくしたち戦前生まれの者にとっては、
子供時代が戦争時代と重なりますから、
学校制度や教育も変更が多くて、
今になってもよく分からないという有り様です。


1941年(昭和16年)に「国民学校令」が出され、
尋常小学校が国民学校初等科(修業年限6年)に、
そして、高等小学校を国民学校高等科(修業年限2年間)になりました。



つまり、
国民学校高等科の1年生というのは、
今で言う中学1年生のことにあたります。










日本は山国で、
しかも八百万の神様がいらっしゃる国ですから、
山岳信仰も盛んですね。


神聖な霊山も多くて、
そのほとんどは女人禁制でした。


それが、
戦後に男女同権となったことから、
霊山も女人禁制を解こうということになったのです。


これには、大変な苦労があったそうですが、
とにかく、
日本中を駆け巡ったほどの一大ニュースでした。








わたくしの通っていた国民学校には
小田先生という国語の男性教師がいました。


名前は「小」ですが、
とても体格の良い、まるで西郷さんのような人でした。


人柄もおおらかで、生徒にも父兄にも大変な人気だったのです。


わたくしも小田先生が大好きで、
国語を一生懸命勉強したものですから、
大変可愛がっていただきました。


その小田先生が霊山が女性にも開放されるかもしれないということを
素晴らしく広い人脈から仕入れてきて、
わが校の女生徒たちに一番乗りさせたいと、
計画を練っていました。


そして、
女人解禁が決定されるや否や、
校長先生の許可を取ってくれたのです。











小田先生は授業の初めにガリ版刷りのお知らせを配って、
そして、丁寧に説明してくれました。


お知らせのプリントには
夏休みに入ったらすぐ、高等科1年生の女生徒で霊山に登山をすること、
朝早く出発して、1泊の日程であること、
自由参加であるが、父兄の許可を貰ってくること、
参加する場合の持ち物や集散場所や時間のことなど、
詳しく書かれていました。


そして、
このプリントを持ち帰って
父兄に見せるようにと言われました。












「僕はもう何度も登ったのだが、
何度登っても、本当に素晴らしい、
心が洗われるような気持ちがするんだ。

そりゃあねえ、
確かに富士山には高さでは負けるよ。

でも、
霊力では決して負けてなんかいないんだ。

ああ、
あの素晴らしさを君たちにもぜひ味わわせてやりたい。

確かに険しくて、登るのは辛いけど、
もう中学生になったからきっと大丈夫。

君たち、
あの山に、
世界中の女性の中で一番乗りをしようじゃないか」


小田先生は瞳をキラキラ輝かせて
額の汗を拭いもしないで、
熱弁を奮いました。


わたくしたちもそれを胸が熱くなるような想いで
身じろぎひとつしないで聴いたことですよ。


その場面が今でも映画のように、
はっきりと思い出すことができます。





続く



ではまた、ごきげんよう。。。










posted by 八十路小町 at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔のお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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