台風の思い出。続き。
「二百十日」「厄日」の俳句。
戦前と終戦後の台風の思い出の続きです。
昔は土手も低くて幅も狭かったので、
すぐに川が氾濫します。
そして、
山の方からは倒木や土砂が流されてきたのです。
わたくしたちが住んでいた所の近くは
河口になっていたので、
色々なものが流されてきました。

シーズンに一人とか人も流されてきて、
それは「土左衛門さん」と呼ばれていました。
わたくしは見たことがないのですが、
水を吸って、
パンパンに膨れ上がっていたそうです。
そんなときには警察が来て、
山の方の部落に確かめに行きます。
山の方でも家族が流されたとなると、
川下の方に探しに来ますから、
途中で双方が出会うわけです。
亡くなった人は戸板に乗せて、
筵をかぶせて運んで行きました。
今ではダムも出来たし、
堤防も高く幅広になったので、
そういうことは滅多になくなりましたから、
本当に良かったですね。

そうそう、
昔は橋も木で出来ていたので、
台風の度にと言っていいほど流されました。
流されるのを前提に造られていましたから、
橋桁が残っていたら、
すぐに直せました。
しかし、
強烈な台風がやってきた場合など、
大木が大量に流れてきて橋桁に当たると、
橋桁も壊れて流れて行ってしまうのです。
そんなときには橋もなかなか直せません。
今では小さな橋でもコンクリートですから、
流されるなどということもなくなりました。
さて、
わたくしたちは古い干拓地に住んでいましたから、薪というものに不自由していました。
それで、
竈や風呂を焚くには豆殻、麦藁を燃やしていたのです。
そんなわけで、
台風というのはある意味で恵みでもありました。
山の木々が倒れて流されて来るのですが、
流れる途中でぶつかり合って
枝が取れたり、割れたり折れたり、
皮も自然に剥がされて、
薪に都合の良い大きさになるのです。
台風の後、
河口に流木が流れてくると、
皆でそれを有り難く拾います。
わたくしはその真似事をしていて、
海に落ちて溺死しそうになったのですが、
その時のことは今でもはっきりと覚えています。
今ではどこでも台所もお風呂もガスを使いますから、
流木を拾い集めるということもありません。
さあ、
「二百十日」の俳句をどうぞ。
二百十日は「厄日」とも呼ばれていますから、
それもやはり夏の季語ですよ。
こけもせで二百十日の鶏頭かな
正岡子規
つれ鳴きのかもめに二百十日かな
遠藤真砂明
二百十日塀きれぎれに蔦の骨
横光利一
父に付き二百十日の田を巡る
岡田満壽美
日照年二百十日の風を待つ
山口素堂
二百十日をとこが丸き握り飯
田岡千章
農捨てて二百十日をなほ祈る
島崎勇作
眠れざる一事のほかは厄日無事
井沢正江
降り出して厄日の雨の荒れやうに
稲畑汀子
水汲んで畳をとほる厄日かな
角光雄
ひら〜と猫が乳呑む厄日かな
秋元不死男
空気まず濡れてきたるや厄日前
能村研三
強い台風第12号が九州に上陸し、
その後、本州縦断というコースを取りそうだという予想が出ていますね。
準備を抜かり無く、
十分に警戒しておかなければなりませんね。
ではまた、ごきげんよう。。。
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