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2017年08月25日

戦時中の配給の布地が出てきました。「配給」の俳句。

2017.08.25.

戦時中の配給の布地が出てきました。
「配給」の俳句。



先日は探しものをしていたら、
偶然、押し入れから戦時中の配給品が出てきました。



あれは確か、
昭和18年19年のことでした。



わたくしは終戦のときがちょうど国民学校の6年生でしたから、
小学4、5年生の頃のことです。



日本では日中戦争以降、
1938年(昭和13年)4月に国家総動員法が制定されたことで、
様々な生活必需品が配給制になりました。



それは国民に生活に最低限必要な品物が
満遍なく行き渡るようにという配慮からでした。








わたくしは地方の田園地帯で育ったので、
わたくしの実家も養家もお百姓さん、
周囲も多くの人がお百姓さんでした。



農家は自分で農作物を栽培するので、
あまり食料には困りませんでしたが、
国民のために、米穀を供出しなければなりませんでした。



それぞれの家の栽培面積に応じた量のお米やお麦を、
リヤカーに乗せて運びました。



わたくしの育った家では田圃を沢山持っていたので、
供出料も多かったけれど、
それでも残ったものも多く、
自宅で消費し、親戚や知人にも分けてあげました。



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しかし、田圃の面積が少ない家では、
気候が悪くて不作だったりすると、
自分の家で食べる分を出しても決まった供出料に達しないことも多々ありました。


ところが、中には、
本当は沢山お米があるのに、
不作で収穫できなかったと嘘をついて、
決められた量を供出しない農家もあったのです。



そういう農家では、
お米を隠して置いて闇で、べらぼうに高いお金で売るのです。



そこで、
役人たちが農家を回って、
お米を隠していないか調べるということになります。



家の納屋、床下、天井裏、押入れ、家畜小屋など、
ありとあらゆるところまで、
潜り込んで探しました。



農家でも、お米を隠すことはいけないことだとは重々承知ですが、
それでも、自分たちの死活問題ですから、
一升二升のお米を密かに渡して、
見逃してもらうということも行われていました。



いつの時代でもそうですが、
袖の下が用意できる人はまだ良いのですが、
それさえ用意できない、本当に困っている人は、
大変な困難な目に遭ったということです。



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さて、
様々なものが配給制度になって、
いくらお金があっても配給券がなければ買えない、
配給権があっても、お金がなければ買えない、
そんな時代のお話です。



あるとき、
わたくしたちの部落に配給券が届きました。



これは、規定量のお米を供出完了した家だけに権利があったので、
そういう農家の人が集まって、くじ引きをしたのです。



わたくしのいた本家が見事に引き当てました。



そして、
買えたものは、ズック靴と絹の着物地です。




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ズック靴は昭和の前半頃まで、
小学生が普通に履いていた運動靴で、
娘のピヨ子も履きました。



ただ、
わたくしの子供時代は戦時中で物資がなかったので、
材質が非常に悪かったのです。



真っ白のズック靴を履いて喜んだのは、
ほんの僅かな日々。



すぐに親指の爪で穴が開いてしまったし、
甲のゴムも弱くて、ビヨンビヨンに伸びてしまいました。




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それから、絹の生地ですが、
当時はとてもじゃないけど、
着物など着て優雅に過ごせる状況ではありませんでしたから、
そのまま押入れに仕舞っておいたのです。



それを、
わたくしが高校に入るので、
本家から実家に帰ったとき、
一緒に持たせてくれました。



わたくしはそれで何かを仕立てることもせず、
そのまま持ってお嫁入りし、
どこかに仕舞い込んでいたというわけです。



その懐かしい生地が出てきたので、
早速広げてみたところ、
着物が縫えるように裁断されてありました。



これは、そういう和服仕立てセットとして配給されたのか、
和裁が得意だった本家の従姉が、すぐに縫えるようにと裁断しておいてくれたものなのか、
今となっては分かりません。



ただ、
あの時代のものしては、本物の絹の縮緬であって、
しかし、
もの不足の時代ゆえか、厚さも幅も長さも従来にものよりは若干不足していたことだけは確かなことです。



落ち着いた色合いの黄緑地に、
白と黄土色の小菊が描かれているもので、
まさに古き時代を彷彿とさせてくれます。



このまままた仕舞い込んでおいても勿体ないですから、
これで簡単なブラウスを縫いました。



予め、水を通しておいたので、
布は縮みましたが、
その分、シボが深くなって、
汗をかいても肌に張り付かず、
とても着心地がよいものになりました。



まだ布が余っているので、
ピヨ子のブラウスを縫おうと考えています。



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さて、
少しですが、
「配給」の俳句が見つかりました。



戦後生まれの皆さん、
どうぞ、ご鑑賞くださいね。



配給の真鯉は桶に凍りけり

山本鼎



配給の酒を余さず初胡瓜

沢木欣一



砂糖配給枯野と同色妻の鉢に

金子兜太



霙るるや軽き配給米を下げ

岩淵青衣子



歳晩へ烏賊の配給ばかり続く

田川飛旅子



蔵書売り冬配給の列に入る

長田喜代治



配給の毛布一枚にくるまりぬ

近藤一鴻



白菊や炭の配給近しと云ふ

遠藤一男



配給へ春雨傘をもやひつつ

北村須起



寒明や糸の配給を少しばかり

森本泰陽



わたくしの暮らしていた田舎にも、
大勢の人々が都会から疎開してきました。



わたくしのいた本家の納屋には
養母の姉妹の家族が住んでいました



田舎と都会と、それぞれの生活が珍しくて羨ましくて、
貧しいながらもお互いが協力しあって暮らしていたあの頃が、
懐かしく思い出されます。



さて、
70年も前の布で作る正絹のブラウス、
戦争を知らないピヨ子はきっと珍しがって愛用してくれるに違いありません。



さあ、
スタンド拡大鏡の出番ですよ。



今日も暑さに負けず、
張り切って過ごしましょう。




ではまた、ごきげんよう。。。


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posted by 八十路小町 at 23:59| Comment(0) | 昔のお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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