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2015年04月19日

4月19日は「地図の日」。伊能忠敬が蝦夷地に出発した日。

2015.04.19.

4月19日は「地図の日」。
伊能忠敬が蝦夷地に出発した日。





今日4月19日は「地図の日」だそうです。



栄養状態も衛生環境もよくなく、
そして医学も発達していなかった古い日本では
「人生50年」と言われていました。


それが、
伊能忠敬は55歳になってから足かけ17年をかけて、
全国を測量して、正確な日本地図を作ったのです。



千葉県の佐原の名主だった伊能忠敬は50歳で隠居すると、
江戸の深川に移り住みます。


そして、
19歳も年下の高橋至時に弟子入りして、
天文学や暦について熱心に学びました。


その知識を元にして、
蝦夷地の測量を行うために、
伊能忠敬が江戸を出発したのが、
寛政12年閏4月19日(1800年6月11日)です。


近所の富岡八幡宮にお参りしての出発でした。











昔は測量技術も発達していなかったので、
最初の第一次測量(蝦夷地)のときは、
「歩測」といい、歩いて、その歩数を数えることによって、
距離を計算したのだそうです。



そのあとの

第二次測量(伊豆・東日本東海岸)
第三次測量(東北日本海沿岸)
第四次測量(東海・北陸)
第五次測量(近畿・中国)
第六次測量(四国)
第七次測量(九州第一次)
第八次測量(九州第二次)
第九次測量(伊豆諸島)
第十次測量(江戸府内)

では、
「間縄」と呼ばれる縄や、鉄鎖を使ったそうです。


でも、
なにしろ江戸時代ですから、
自転車も自動車もなく、
「徒歩」で日本中の海岸線など、
3万5000kmを踏破したのですから、
その歩数たるや、4千万歩にもなりました。









そんな偉業を成し遂げた伊能忠敬ですが、
実は、若い頃から体が弱くて、
しばしば寝込んでいたのだそうです。


それがどうやって?


と知りたいところですが、
強い好奇心と使命感などで、
体力のなさを補っていたのでしょう。


ちなみに、好んで食べていたものは、
かぶら、大根、人参、せり、鳥、卵、長いも、
蓮根、くわい、豆腐、菜、菜類、椎茸、鰹節。


更に、残された長女への手紙には

「しそ巻唐辛子を毎日食べていて、
残りが少なくなったからあれば送ってほしい」

「蕎麦を1日か2日置きに食べている」

などの記述があるそうです。


また、
豆類も好物だったそうです。



バランスの取れた健康的な食生活が
これだけの偉業を成し遂げる体にしてくれたのでしょうね。



そして、
亡くなったのは文政元年(1818年)4月13日、
満73歳でした。


お墓は上野源空寺にあり、
尊敬する師の高橋至時・景保父子の隣にあるそうです。









伊能忠敬が測量の旅に出る前には必ずお参りしていた富岡八幡宮には、
元気よく歩いているその姿が銅像になっています。


わたくしたちは富岡八幡宮に行ったときに、
この銅像はしっかり見た
のですが、
近所にあるという「伊能忠敬住居跡」には寄らずに帰ってきてしまいました。



こちらのブログには伊能忠敬縁の場所が沢山載っています。
http://www.geocities.jp/kk810558/inou.htm


次にはぜひ脚を延ばしてみたいと思います。






伊能図大全【全7巻】



「地図」といえば、
いつも懐かしく思い出すことがあります。


それを今度また書きたいと思います。




ではまた、ごきげんよう。。。













posted by 八十路小町 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月26日

1936年2月26日は「二・二六事件」の起きた日。高橋是清邸跡に行ってきました。

2015.02.26.

1936年2月26日は「二・二六事件」の起きた日。
高橋是清邸跡に行ってきました。




2月26日といえば、
やっぱり「二・二六事件」ですね。



1936年2月26日、
陸軍皇道派青年将校が1483名の兵を率いて、
「昭和維新」を唱えて、
政府中枢を襲ったクーデター未遂事件ですね。





Amazon.二・二六事件



死亡者は日本の中枢を担っていた人ばかり、
松尾伝蔵、高橋是清、斎藤実、渡辺錠太郎、
負傷者は鈴木貫太郎
他の被害者には警察官5名殉職、1名重傷
という大変な事件でした。







中橋基明中尉と中島莞爾少尉が指揮した襲撃部隊が
6度目の大蔵大臣をしていた高橋是清の私邸を襲撃。



警備の玉置英夫巡査が奮戦するも重傷を負い、
高橋是清は拳銃で撃たれた上に、
軍刀でとどめを刺され即死したというものでした。





Amazon.高橋是清



江戸時代に生まれ、
明治、大正、昭和の日本史を知る上では、
絶対に読んでおくべき面白い本だと、
ピヨ子がお薦めと送ってくれたのが、
この自伝です。



150226_045205_mo.jpg

高橋是清自伝 (上巻) (中公文庫)
高橋是清自伝 (下巻) (中公文庫)









「達磨宰相」と呼ばれて、
皆に愛された高橋是清という人物の素晴らしさに
わたくしはこの本を何度も読み返しています。



高橋是清は幕府御用絵師とそこに奉公していた少女の間に生まれた私生児で、
生後間もなく足軽の家に養子に出されました。



色々な災難があったけれど、
その度に周りの人が「運の良い子だ」と言うのを聞いて、
自分もなにがあっても「運が良い」と思い込むようにして、
そして、人生を切り開いていきました。




慶応3年には、
勝海舟の息子らと一緒にアメリカに留学しましたが、
騙されて、次々と身売りされて、
奴隷同然の生活をする羽目になりましたが、
逃げ出します。



この困難の時代に身につけた正に生きた英語で、
帰国後は大学予備門などで教壇に立ちました。



この頃の教え子には、
「坂の上の雲」にも登場した正岡子規や秋山真之がいます。




その後、
大蔵大臣、農林大臣、内閣総理大臣、貴族院議員など、
重要な地位に就いて、
主に日本の経済政策に尽力しました。



太平洋戦争後の日本の目覚ましい発展期を経て、
バブル経済が破綻、
そして、今のような混沌とした時代にあって、
昭和初期の世界恐慌による混乱から日本を救った高橋是清が
また見直されていますね。



とにかく、
どんな災難に出会っても、
「自分は運が良いんだ」と信じて、
前向きに明るく努力して、
そして人生を切り開いてきた高橋是清は、
わたくしの大好きな偉人の一人なのです。













さて、
その尊敬すべき高橋是清が住んでいた、
そして、
そこで最期を遂げた屋敷跡が公園になっています。



ちょうど赤坂御所を挟んだ大きな道路・青山通にあります。



わたくしと夫もピヨ子に案内してもらって
行ってまいりました。



池や石燈籠、井戸なども残っていて、
また、高橋是清の銅像もあって、
木々の具合もほどよく管理されていて、
さすがに気持ちのいい公園でした。



こんな都会の真中に、
と思うくらいの静寂、
紅葉の美しさが印象に残っていて、
近くに行ったら、是非また訪れたい場所のひとつです。


高橋是清翁記念公園



東京都港区赤坂七丁目3番39号






高橋是清邸の建物をはじめ、
万世橋交番、銀座煉瓦街の煉瓦など、
歴史上興味深く貴重な建物が移築展示されているというのが、
こちら。


江戸東京たてもの園



東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)




高橋是清邸庭園の一部を復元しているそうですから、
是非行ってみたいですね。






そして、
「二・二六事件」といえば、
「カレーライス」に繋がるのですが、
それはまたどうして??




実は、
1936(昭和11)年の2月26日は
30年ぶりの大雪だったのです。



帝国ホテルの厨房のラジオに
「決起将校による反乱」を伝えるニュースが流れてきました。



警備に当たった連隊の拠点が帝国ホテルの裏にあったということで、
当時のスタッフは自主的に炊き出しをすることを決めたのです。



それにしても、
500人もの兵隊さんに出さなければなりません。



手早く作れて、
簡単に大量に提供できるものは??



しかも
大雪の中に立って冷え切った体を温めてくれて、
栄養があって、
1皿でご飯とおかずを盛れるもの、
作る方も食べる方も楽ちんで嬉しいものは??



そんな条件を満たしてくれたのが
「カレーライス」だったのです。



「カレーライス」自体は明治時代からありましたが、
当時はまだ、
都会の高級西洋料理でした。



また、
作り方も簡便で、
肉や野菜を鍋で煮て、それにカレー粉と澱粉を入れてトロ味をつけたものでした。



しかし、
この2月26日に帝国ホテルが兵隊さんに出したカレーは
第8代料理長の石渡文治郎が欧州で習得してきた本格的なもの。



ブイヨンやスパイスの味が芳醇で、
兵士たちは感激したそうです。



それが、
日本中に本格的な「カレーライス」が広まっていったきっかけなのだそうです。









二・二六事件のあったのは昭和11年。



わたくしはまだ2歳でしたから、
全く記憶にもありませんが、
その様子が目に浮かぶ気がします。







今日からまた冬に逆戻りですね。



そうだわ、
こんな寒い日には「カレー」にしましょうか。



簡単に作れて、
しかも沢山作って、作りおきすればその方が美味しくなるから、
冷凍なんかしちゃったりしてねえ。



食べる夫も大喜び、
作るわたくしも大喜びですね。




ではまた、ごきげんよう。。。







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posted by 八十路小町 at 06:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月19日

袴の中から、昭和5年(1930年)4月20日の新聞が出て来ました。

2014.03.19




袴の中から、

昭和5年(1930年)4月20日の新聞が出て来ました。



押入れを整理していたら、
舅の古い袴が出て来ました。

これをほどいて、
何かに縫い直そうと思い立ちました。

そして、
袴の縫い糸をほどいて、
バラバラにしていたら、
前紐のところに芯が入っているのですが、
その中から、
古い新聞が折りたたまれて入っていたのです。

さっそく広げてみると、
これがなんと、
「昭和五年四月二十日」と書かれてあるのです。

DSCN1114_mo.JPG

ほら、
戦前の書き方ですからね、
横書きは右から左に読んでくださいね。

昭和5年というのは、
1930年ですね。


今では、
衣類やバッグ、帽子など、
仕立てるときには、
不織布などで出来た
専用の芯がありますね。

そのころは、
そんなものがありませんでしたから、
紙を折りたたんで、
それを布で丁寧に包んであったのですよ。

好奇心旺盛なわたくし、
勿論、その場で広げて読んでみました。


「犬養総裁を中心に野党の陣容は整ふ」

DSCN1115_mo.JPG

「ライ病治療」
「脳病院」

こんな、
もう死語となってしまった言葉もあります。

DSCN1119_mo.JPG


「初夏のプロローグ」という記事では、

着物を着た女性たちが
白い傘をさして歩いている写真があって、
そこには、こんな文章が。

◇模造紙の明るいパラソルに若葉をすべる陽がさん
さんと濯ぐ

◇セルに包まれた乙女たちの丸こい肉感が彫刻的な美をそヽる

◇朗らかな笑ひ、青いクローバー、かうして初夏のプロローグは開けてゆく

ですって。

白黒写真だし
古い紙なので、
はっきり見えないのが残念ですね。

DSCN1116_mo.JPG


これは、
大正生まれのお嬢さんたちですね。

夫を呼んで
見せてあげました。

「ほほう。。。。」

眼鏡を取ってきて、
隅々まで読んでいましたよ。

なんといっても、
夫がまだ1歳のお誕生を迎える
ちょっと前の新聞ですからね。


さて、
わたくしは早速、
Wikipediaで「1930年」を調べてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1930%E5%B9%B4


●昭和5年の主なできごと。

1月1日 - 鉄道省が全線でメートル法実施
1月2日 - 朝日賞第1回授賞式(坪内逍遥ら)
1月11日 - 濱口内閣の主導で日本が金本位制に復帰(金解禁)
1月12日 - 第1回全日本スケート選手権大会開催(青森県八戸市)
1月26日 - インド国民会議が独立を宣言
1月31日 - 米3M社がスコッチテープ(セロハンテープ)発売開始

2月9日 - 若槻軍縮会議全権が英放送局から日本へ向けて演説放送(初の国際中継放送)
2月14日 - 宮城道雄が東京音楽学校講師に就任(盲人で初めて)
2月18日 - クライド・トンボーが冥王星を発見
2月26日 - 共産党員全国一斉検挙開始

3月1日 - 谷口雅春が宗教右派に属する新興宗教生長の家を開教。右派政治団体日本会議等で、右翼活動を行っている。
3月2日 - インドで、マハトマ・ガンディーが、宗主国イギリスが任命したインド総督に対し市民的不服従による抗議運動開始を通達。
3月6日 - 米国マサチューセッツ州で世界初の冷凍食品が販売
3月10日 - 鎮海で陸軍記念日の活動写真フィルムが炎上し小学生100名が焼死
3月12日 - インドで、マハトマ・ガンディーと支持者により、イギリスによる塩の専売に抗議する塩の行進開始。4月6日まで続く。
3月15日 - 横須賀線が電車に切換え
3月29日 - 東京劇場開場式


4月1日
上野駅に地下商店街が誕生
福岡県若松・戸畑間の連絡船第一わかと丸が転覆(76名死亡)
4月10日 - 銀座三越開店
4月11日 - 日本神学校開校
4月13日 - 東京板橋の貧民街岩の坂で養育金目当ての板橋貰い子殺し事件発覚。大正以来41人を殺害。
4月24日 - 鉄道省が国際観光局を開設
4月26日 - ローマで日本美術展開催
4月29日 - 天長節祝典: 宮城平河門内覆馬場で370年ぶりの天覧相撲開催


5月5日 - 第1回日本一健康優良児表彰式開催
5月12日 - 重巡高雄進水式(皇后臨席)
5月15日 - 米国で世界初のスチュワーデス就任
5月30日 - 台湾で烏山頭貯水池(八田ダム)竣工


6月11日 - 浅間山爆発
6月27日 - 劇団新東京第1回公演(東京劇場、「フィガロの結婚」)


7月7日 - 米国でフーバーダム建設開始
7月10日 - 明治神宮プール公開
7月13日 - 第1回FIFAワールドカップ開催( - 7月30日)


8月15日 - 谷崎潤一郎夫人千代子が離婚して佐藤春夫と再婚する三者合意声明が細君譲渡事件として話題になる
8月21日 - 逓信省が東京・大阪間で写真電送開始
8月22日 - 北極探検家アンドレーの遺体が33年目にして発見


9月1日 - 震災記念堂落成式
9月5日 - 浅間山爆発 (東京まで降灰)
9月10日 - 米価大暴落、大豊作で1917年以来の安値(豊作飢饉)
9月14日 - 独総選挙でナチ党が躍進


10月28日 - 醍醐天皇千年式年祭挙行


11月1日
日比谷交差点に国内初の自動交通信号登場(米国製)
名古屋市で市営電気バス登場
11月5日 - 大原美術館開館(岡山県倉敷市)
11月14日 - 濱口首相遭難事件: 濱口首相が東京駅で佐郷屋留雄に狙撃され重傷
11月15日 - 第1回全日本柔道選手権大会開催(武道館)
11月18日 - 牧口常三郎と戸田城聖が、創価学会の母体である創価教育学会を設立。
11月20日 - 最初の国立癩療養所長島愛生園開設
11月24日 - 警視庁がエロ演芸取締規則を各署に通達
11月26日 - 伊豆地方大地震(死者行方不明者331名、全壊4317戸)


12月1日 - 講談社レコード部発足 (後のキングレコード)
12月20日 - 省営自動車開業(岡崎駅-多治見駅間・瀬戸記念橋駅-高蔵寺駅間)
12月22日 - 静岡・小田原の御用邸廃止



●昭和5年に生まれた人々。


1月22日 - 松平康隆、バレーボール選手、監督(+ 2011年)
1月26日 - 不破哲三、政治家

3月6日 - ロリン・マゼール、指揮者
3月24日 - スティーブ・マックイーン、俳優(+ 1980年)

4月29日 - 岸田今日子、女優(+2006年)

5月25日 - ソニア・リキエル、ファッションデザイナー
6月10日 - 上坂冬子、ノンフィクション作家(+ 2009年)
6月15日 - 平山郁夫、日本画家(+ 2009年)
6月28日 - 三波伸介、喜劇俳優・コメディアン(+ 1982年)
6月29日 - 左幸子、女優(+ 2001年)

7月3日 - 深作欣二、映画監督(+ 2003年)
7月3日 - カルロス・クライバー、指揮者(+ 2004年)

7月27日 - 高島忠夫、俳優
9月3日 - 澤地久枝、ノンフィクション作家
9月4日 - 藤岡琢也、俳優(+ 2006年)
9月6日 - 西村京太郎、小説家

9月13日 - 有馬朗人、物理学者・俳人・政治家

10月8日 - 武満徹、作曲家(+ 1996年)
10月10日 - 野坂昭如、作家・作詞家

11月10日 - 三橋美智也、演歌歌手(+ 1996年)
11月12日 - 俵孝太郎、政治評論家
11月15日 - 笹沢佐保、作家(+2002年)

12月11日 - 佐々淳行、元警察庁官僚・危機管理評論家
12月30日 - 開高健、作家(+ 1989年)


●昭和5年に亡くなった人々。

3月10日 - 金子みすゞ、詩人(* 1903年)
3月28日 - 内村鑑三、聖書学者・思想家(* 1861年)

5月10日 - 下村観山、日本画家(* 1873年)
5月13日 - 田山花袋、小説家(* 1871年)
5月13日 - フリチョフ・ナンセン、動物学者・探検家・政治家(* 1861年)

7月7日 - アーサー・コナン・ドイル、作家(* 1859年)

10月30日 - 豊田佐吉、発明家・豊田自動織機製作所創立者(* 1867年)

11月4日 - 秋山好古、陸軍軍人(* 1859年)
11月7日 - 大木戸森右エ門、大相撲第23代横綱(* 1878年)
11月9日 - 浅野総一郎、実業家・浅野財閥創始者(* 1848年)
11月29日 - 3代目柳家小さん、落語家(*1855年)


興味を持たれたあなた、
ぜひ調べていただきたいですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1930%E5%B9%B4


昭和5年、1930年というのは、
世界中で、大きな動きがあった、
変動の時代であったということが分かりました。

わたくしが生まれる前のことですけどね。

なんだか、
その時代に生きていた、
今は亡き両親や兄弟、親戚の人、
あの人この人、
とても懐かしく、
また、身近に思い出すことができました。


この新聞はピヨ子にも送ってやりましょう。
そうそう、
旬の味「つぼみ菜」や「たらの芽」などと一緒にね。



ではまた、ごきげんよう。。。









posted by 八十路小町 at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月22日

小野田寛郎さんが亡くなりましたね。

2014.01.22



小野田寛郎さんが亡くなりましたね。



フィリピンのルバング島で
戦争が終わったとも知らず、
軍規に従って、
1974年まで一人で戦い続けた「最後の侍」
小野田寛郎さんが亡くなったそうですね。


もうとっくに、戦争は終わっていたと思っていたのに、
1972年にはルソン島から、
横井庄一さんが帰国、
そして、その2年後の小野田さんの帰国。


「平和ボケ」していると言われた日本人が
改めて「戦争とはなにか」について
考え直す非常に良いきっかけになりました。






わたくしたち八十路世代にとって、
戦争はとても大きな意味を持っています。

だって、
生まれたときから、
戦争とは縁が切れない世情だったからです。

第2次世界大戦が始まったのが
1939年9月1日。

これは、昭和14年ですから、
わたくしは5歳。


そして、
この戦争に日本が参加した太平洋戦争の始まりが
1941年12月8日の「真珠湾攻撃」。

これは昭和16年ですから、
わたくしは7歳。


日本が戦争を終結したのが
1945年8月15日。

これは昭和20年ですから、
わたくしは11歳。


つまり、
「わたくしの小学生時代=戦争」
という図式になるわけです。


子どもとして、
遊んだり、勉強したり、
そして、運動をしたり、
こういう一番大切な時期を「戦時下」にあって、
今になって、
考えれば考えるほど、
言葉にもならない思いが湧いてきますね。


当時の小学校は
「国民学校」と言いましたわねえ。

大した勉強もせず、
お国のために戦っている兵隊さんに
「慰問袋」を送ってあげるのですが、
その中に入れる「綴り方」を書きましたね。


あら、そう?

ご存じないわよね。

「綴り方」ってね、
今で言うところの「作文」のことですよ。


季節の行事のことや、
野山や村・町の様子、
子どもの遊びや学校の様子など、
いろいろ書きましたねえ。

それから、
そら豆や大豆を煎ったものなども
その「慰問袋」には入れましたよ。


ひょっとしたら、
小野田さんや横井さんの手元に
届いたりしたかもしれませんね。



おや、さすがねえ。

あなた、
「千人針」なんて言葉もご存知なの?


「慰問袋」や「千人針」については
また別の機会に書きますわ。



人間は生まれてくるのも、死ぬのも一人。


とはいうものの、
戦争は特に、
わたくしたちに「孤独」を感じさせました。

わたくしの幼少時に過ごした本家、
そこで一緒に過ごした従姉夫婦の部屋の天井には、
戦争が終わってからずっと、
戦闘帽がかけられてありましたよ。

従姉の夫は本家に養子に来て
すぐ出征しました。

確か、大陸に行ったのですが、
脚を撃たれて大怪我をし、
傷痍軍人となって、一度帰ってきました。

しかし、
戦局の悪化によって、
今度は南方に行かされたのでした。

彼は無事に生きて帰ってきましたが、
びっこをひきながら、
働き詰めの65年の生涯を終えました。


わたくしは
あの「大日本帝国陸軍の戦闘帽」を思い出すたび、
彼の「孤独」を背負った後ろ姿が目に浮かぶのです。



尊い命をかけて、
わたくしの祖国日本のために戦って下さった、
小野田さん始め多くの兵隊さんたち、
そして、
兵隊ではないけれど失った多くの命や犠牲。



戦争のない、本当の平和。

戦争を肌で知っているわたくしたちの世代は
特に、
これを願ってやみません。


ではまた、ごきげんよう。。。








posted by 八十路小町 at 06:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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