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2016年07月12日

7月12日は「山下清」没後45年。入院中にファンになりました。「花火」の俳句。

2016.07.12.


7月12日は「山下清」没後45年。
入院中にファンになりました。
「花火」の俳句。




今日は7月12日、
あの「裸の大将」山下清が亡くなって45年になります。



山下清といえば、
素朴な味わいのある緻密なちぎり絵で有名ですね。



あの独特な画風は
山下清に知的な障害があった故と言われていますが、
その障害は生まれつきのものではないそうです。



浅草で生まれた翌年の関東大震災で非難した先の新潟県で、
3歳の頃に重い消化不良で命を落としそうになって、
そのせいで軽い言語障害、知的障害の後遺症を患うことになったのです。



お父さんが亡くなって、
お母さんが再婚したものの、
その生活は不幸で、
お母さんは清を含む3人の子供を連れて家を出て、
以後、大変な苦労をしました。



知的な障害のある清は普通の学校の生活についていけず、
千葉県東葛飾郡八幡町大字八幡字衣川(現: 千葉県市川市八幡四丁目)の知的障害児施設「八幡学園」へ預けられ、
ここで「ちぎり紙細工」に出会います。



そのちぎり絵での才能を見出したのは、
学園の顧問医を勤めていた精神病理学者・式場隆三郎で、
そのお陰で、
山下清の天才が花開いたというわけですね。



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さて、
山下清はリュックを背負って日本中を放浪し、
その旅で見聞きしたことを作品に残しました。



独特な風貌、言動から「裸の大将」と呼ばれ、
芦屋雁之助らがテレビなどで演じて、
さらに有名になりました。



その山下清の放浪記が本になっています。



わたくしは昨年の入院生活で、
ピヨ子が持ってきてくれた本を何冊も読んだのですが、
最も印象に残ったもののひとつが山下清の書いたものです。




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「日本ぶらりぶらり」



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「ヨーロッパぶらりぶらり」



どちらも本当に面白かったです。



日本やヨーロッパを旅した途中で見たり聞いたりしたこと、
そして感じたことなどを、
味のあるスケッチとともに綴っています。



知的障害を持っているために、
会う人会う人に馬鹿にされ、
悔しく悲しい思いをしながらも、
誰かを恨むこともなく無心に生きている姿に、
ときにはほろりと涙がこぼれてもきました。





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式場隆三郎に連れて行ってもらった外国旅行で、
コペンハーゲンの人魚像を見ながら
「みにくいあひる」の話をする場面があります。




白鳥の子はこどものときは醜いからと嫌われてひとりぼっちでいて、
大人になって綺麗になったらなったで、
みんなに羨ましがられはしても、
やっぱりひとりぼっち。



今更白鳥の仲間に入るのも、
勝手が違っていろいろと都合の悪いことが多いので、
あひるのこはあひるのままでいた方が良かったのではないか。



そんな風に清は思ったのです。




「アンデルセンは、おとぎばなしだからあひるの子を白鳥にしたんだな。ほんとの話をかくと子供がよろこばないのかな」

というと、

「人間はどんな不幸なときでも、さきにしあわせが待っているかもしれないと思うと、元気がでてくる。アンデルセンは人間にいい夢をつくってくれた」

と先生がいうので

「いい夢でもわるい夢でも、夢は夢だな。さめればおんなじだ」

「清はしあわせになりたいと思ったことはないのかな」

「しあわせになれるかどうか、さきのことはわからないな。ぼくはしあわせでも不しあわせでもなくて、いつもふつうだな」

というと、だんだん日がくれてきて、人魚の像もただの黒いかげみたいになってしまったので、町へ帰って洋食をたべて、宿屋に帰ってねたが、夢はみなかった。



引用:「ヨーロッパぶらりぶらり」




清は知恵遅れなので、
いわゆる常識というものを知らないし、
一般の知識にも欠けるので、
とんちんかんなことばかり言ったりしたりします。



でも、
わたくしは清の本を読んでみて、
本当に頭がいいのは清の方ではないかしらとさえ、
思うようになってきました。



長く生きてくると、
自分も周囲の状況も変わってくるので、
正しいと信じてきたことが、
どうもそうではなかったと分かったり、
価値があるとやみくもに信じてきたことが、
実はどうでもよいことだったり。



直腸脱の手術を終えて、
お尻の痛みに悩みながら出会った山下清のことを、
わたくしは決して忘れないでしょう。













1971年(昭和46年)7月10日の夜、
脳出血で倒れ、
12日に49歳で亡くなりました。



最後の言葉は
「ことしの花火見物はどこへ行こうかな」
だったそうです。



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そんな山下清に「花火」の俳句を手向けたいと思います。





花火やむあとは露けき夜也けり

   正岡子規



花火があがる音のたび聞いてゐる

   尾崎放哉



群集の顎吊り上げし花火かな

   仲畑貴志



子が持てば火花よろこぶ花火かな

   鷹羽狩行



子に土産なく手花火の路地を過ぐ

   大串章



寝たきりの友よ見給へ遠花火

   河合しよう



遠花火戸口に杖と立つて居り

   村越化石



絵手紙の空を食みだす大花火

   水原春郎



魂の半分は鬼花火散る

   坪内稔典



一輪の花となりたる揚花火

   山口誓子







ヨーロッパ旅行の終わりに、
飛行機の窓から外を見て、




暗い空のはじの方がぼうっと明るくなっていた。

あの下に東京があって、お母さんや辰ちゃんや辰ちゃんの子供がいて、

・・・

家が小さくて屋根がきたなくとも、千万人の人がみんな日本語で話をしているので、ぼくは自分が日本語をしゃべれるのが大したことのような気がした。

・・・

 東京の灯はぬれているようにひかっている、東京の夜空はしっぽりとしめっぽかった。

 ぼくは珍らしいヨーロッパやアフリカなどをみておもしろかったが、やっぱり日本がいちばん住みよいことがわかった。

  (おわり)


引用:「ヨーロッパぶらりぶらり」






今日は裸の大将に出てくるシーンのように、
大き目のおむすびを作ってみようかしら。


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こんな蒸し暑い日でも、
塩をきかせたおむすびなら食欲が湧いてきますね。




ではまた、ごきげんよう。。。






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2015年10月24日

東京目黒に柳宗悦が「日本民藝館」を造って79年。「銀座たくみ」で買った愛用の品々。

2015.10.24.

東京目黒に柳宗悦が
「日本民藝館」を造って79年。
「銀座たくみ」で買った愛用の品々。



わたくしは美しいものならなんでも好きです。



布は勿論、
器も大好き。



お気に入りの器があれば、
料理にも気合が入ろうというものです。



衣食住は人の一生で重要な意味を持っています。



ですから、
美しくセンスの良いものを取り扱う人もお店も、
わたくしは大好きなのです。











そんな人物の中でも、
近代日本に大きな役割を果たした1人は柳宗悦でしょう。



柳 宗悦(やなぎ むねよし)
1889年(明治22年)3月21日 - 1961年(昭和36年)5月3日


Soetsu
出典:不二草紙 本日のおススメ



母の弟が嘉納治五郎、
妻が声楽家の柳兼子、
長男がデザイナーの柳宗理。




旧制学習院高等科から東京帝國大学に進み、
白樺派に参加し、
生活に密着した民芸品に注目して、
「用の美」を唱える民藝運動を起こしました。



そして、
1936年(昭和11年)の今日10月24日、
東京府東京市目黒区駒場に日本民藝館を設立したのです。














その日本民藝館は
京王井の頭線の駒場東大前駅で降りて、
東大駒場キャンパスを右手に見ながらちょっと行ったところにあります。



旧前田侯爵邸跡の駒場公園や日本近代文学館の一角に
白い漆喰壁に大谷意志の屋根という特徴のある建物があって、
そこがお目当ての日本民藝館です。



ここは土足厳禁ですから、
靴を脱いで上がります。



大勢の来館者が歩いた木の床はピカピカで、
天井の高い空間は落ち着いた豊かな雰囲気です。



他の有名な美術館とは違って、
一般大衆向けとは一線を画しているからでしょうか、
来館者でごった返すということがないのも、
人混みの嫌いなわたくしたちにとっては、
大きな魅力なのです。



展示物も、
金ピカでいかにも豪華というものではありませんが、
誠実で健全な精神で作られた価値の高いものばかりで、
見ているだけで懐かしいような和やかな気持ちがしてきます。



1階にあるショップは、
そこいらでは見かけないけれども、
気軽に買えるものばかりで、
ついつい時間を忘れてしまいます。




今秋の見どころはこちら。

2015年9月1日(火)〜11月23日(月・祝)
生誕120年記念 芹沢_介展



日本民藝館
http://www.mingeikan.or.jp/


〒153-0041 東京都目黒区駒場4-3-33




都内でも目黒区駒場周辺は閑静な住宅街で、
散策をするには持って来いですね。











そして、
「日本民藝館」の出店とも言えるのが
「銀座たくみ」です。



昭和8年12月に作られたこのお店は、
地方の民藝品の振興と普及を目的としていて、
店内には、
日本ばかりではなく、
アジア、アフリカ、中南米などの民芸品も展示即売されています。



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素朴な味わいながらも洗練された器が沢山あって、
銀座に行けば必ず訪れます。



もう随分前ですが、
こちらで買ったデミタスカップ。


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味わいのある銅と青ガラスのグラス。


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2個買ったのですが、
粗相をして1個だけになってしまいました。



本当に惜しいことです。






その他、
可愛くお洒落な湯町焼きのエッグベーカーも買ったのですが、
これも欠けて捨ててしまいました。



御厨正敏さんの色硝子の小鉢も大事にしていたのに、
これも割れてしまいました。



無色透明の地に深い緑と青の太いラインが入っていたので、
中に何を入れても、
美味しそうに見えたのですが、
残念でたまりませんね。










こちらの花瓶も御厨さんの作品です。

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赤の色と形がとても素敵です。








この銀座たくみの品物は「用の美」を尊んだものですから、
勿体無いからといって、
戸棚にしまいこんでいてはいけません。



日常生活で使ってこその価値ですから、
安くはないとはいえ、
どんどん使って、
そして、割れてしまったら、
それはそれでよしとしなければなりませんね。



それで、
また新しい器との「一期一会」を期待して、
「銀座たくみ」へ行ってみましょうか。



「また買うのか?」などと、
夫は渋い顔をしますが、
わたくしのお金で買うんですもの、
ねえ。









柳宗悦の起こした「民藝運動」の仲間には、
バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司、富永憲吉、
棟方志功、芹沢_介らが有名ですね。



どの人も大変興味がありますが、
わたくしが陶芸を趣味としていることもあって、
濱田庄司には心惹かれるところがあって、
展覧会にも行ったことがあります。



浜田庄司旧居の巨き冷蔵庫

辻桃子



浜田庄司の住んでいた益子にはまだ行ったことがないので、
是非とも訪れたいと思っています。








ではまた、ごきげんよう。。。




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posted by 八十路小町 at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月05日

今日10月5日は高村智恵子の命日・「レモンの日」です。

2015.10.05.

今日10月5日は高村智恵子の命日・
「レモンの日」です。




1938年の今日10月5日、
高村光太郎の「智恵子抄」に描かれた妻・高村智恵子の亡くなった日です。



高村光太郎のお父さんは著名な彫刻家高村光雲で、
あまりにも大きな父親の存在感に押しつぶされまいと、
必死に生きた人生でした。



その中で生み出された数々の彫刻と詩は、
多くの人の心を捉えていますね。



中でも、
特に有名なのが「智恵子抄」でしょう。




青空文庫「智恵子抄」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001168/card46669.html



Chieko_Takamura_mo.jpg
画像:http://www.chibanippo.co.jp/cn/culture/bousou/1427




高村光太郎と智恵子が最初に会ったのは、
明治44年(1911)12月末に柳八重の紹介でしたが、
翌年に駒込に完成した光太郎のアトリエでも度々会っていたそうです。



智恵子の結婚話のことがあって、
二人の愛の思いを確実にした再会が
房総半島は銚子の犬吠埼だったようですね。



大正元年の夏に、
たまたま二人は別の宿に滞在していたのが、
智恵子が光太郎の滞在していた「暁鶏館」に移り、
一緒に散歩したり、食事したり、写生したりして過ごしたそうです。



(コメントで教えていただき、訂正しました。

ありがとうございました。


こちらにも詳しい情報がありますね。
どうぞ、ご参考に。


高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/koyama2870041/10852894.html


房総史譚

高村光太郎と智恵子の犬吠埼での再会の偶然性について
http://bousou.txt-nifty.com/blog/2007/09/post_bc8f.html

高村光太郎と房総=妻智恵子との愛と苦悩の日々=(1)1.運命の糸を感じた犬吠埼(その1)
http://bousou.txt-nifty.com/blog/2008/04/post_b7f2.html

など)













その犬吠埼に、
わたくしはピヨ子と訪れたことがあります。



その話はまたいつか書きたいと思います。












智恵子は明治19年5月20日の生まれで、
福島県安達郡油井村の造り酒屋・長沼酒造の長女として、
恵まれた生活を送っていました。



日本女子大学家政学科を卒業後、
女流芸術家として活躍を始め、
明治44年に創刊された女性雑誌『青鞜』の表紙絵を描いたりして、
豊かな才能に期待されていました。



高村光太郎と結婚後、
父親の死、実家の倒産、一家離散の憂き目に遭い、
統合失調症を発病し、
九十九里浜で養生した後、
東京・品川のゼームス坂病院で亡くなりました。



その入院中にコツコツと、
素晴らしい紙絵を生み出したことはよく知られていますね。











「智恵子は東京に空が無いという

ほんとの空が見たいという」




かなしく白くあかるい死の床で、
智恵子はレモンをがりりと噛んで、
故郷・阿多多羅山の山の上に出ている美しい空に帰って行きました。




お墓は桜の名所、
東京都豊島区駒込の染井霊園にあります。














「智恵子抄」は映画にもなり、ドラマにもなり、
そして、歌も作られました。



東京オリンピックの1964年に、
丘灯至夫作詞、戸塚三博作曲の 『智恵子抄』という曲を、
二代目コロムビア・ローズが歌って大ヒットしましたね。



「東京の空、灰色の空」



あの歌にあるように、
あの時代は高度成長期だったので、
東京の空の汚染は今よりも酷かったことでしょう。



わたくしがピヨ子の受験に付き添って、
始めて上京したとき、
新幹線の窓から東京の空を見て、
思わずあの歌が口をついて出てきそうになりました。



あれから、
環境についてうるさくなって、
東京の空も水も随分と改善されました。



それでも、
上京して数日経つと、
わたくしはピヨ子からいつも指摘されるのです。



「おや、鼻毛が随分出ているよ。

オジサンみたい」
















あの歌の流行った頃からでしょうか、
田舎の町にも都会からの風が届くようになり、
レモンが手に入るようになりました。



「Sunkist」という緑色の字が印刷してある舶来のレモンは、
その眩いばかりの黄色と、
尖った形、
そして、爽やかな酸味とで、
わたくしたちをすっかり魅了してしまいました。



ガラスのレモン絞り器を買ってきて、
ギュウッと絞ったレモン汁をガラスのコップに入れて、
水と蜂蜜を加えたレモンジュースは
わたくしもピヨ子も大好物でした。



近頃では、
あのサンキストの柑橘類には有毒のポストハーベスト農薬が残っているということで、
皮のまま紅茶に入れたりするのは、
どうも心配になってきました。



ところが、
今では国産のレモンの生産が盛んになってきましたから、
本当に嬉しいことですね。



瀬戸内海や紀州の澄んだ空気の作り出した美味しいレモンの収穫は
これから始まります。



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画像:写真AC









そうです、
「檸檬」は俳句では秋の季語ですね。



檸檬買ふ幾たび読みぬ智恵子抄

  横内かよこ



色のなき写真の中のレモンかな

  浅井愼平



たかだか百年檸檬を絞ること覺え
 
  中原道夫



舌平目半切檸檬絞りけり
 
  能村研三



檸檬育て平家の裔を誇りとす
 
  稲畑廣太郎



ほっとれもんあなたは嘘をつけますか

  わたなべじゅんこ






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画像:写真AC



肌寒い朝に、
一杯のホットレモンも嬉しいですね。



今年は国産レモンでマーマレードを作ろうと、
楽しみにしています。






ではまた、ごきげんよう。。。





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posted by 八十路小町 at 23:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月20日

9月20日は「お手玉の日」。「全国お手玉遊び大会」にチャレンジしてみます?

2015.09.20.

9月20日は「お手玉の日」。
「全国お手玉遊び大会」にチャレンジしてみます?




わたくしが子ども時代を過ごしたのは終戦前のことでした。



あの頃は戦時中で特殊な時代でしたが、
あれから70年も過ぎると、
世の中の移り変わりには驚かされることばかりです。



特に、
子どもの遊びは大きく変わりましたね。



わたくしたちの時代には、
テレビもゲームもありませんでしたし、
なんでも買える今の生活は想像もつきませんでした。



ですから、
遊び道具も自分たちで作ったものがほとんどでした。




女の子の遊びとして代表的なもの、
「お手玉」はその代表的なものですね。















今日9月20日は「お手玉の日」だそうですよ。



1992年の今日、
「日本のお手玉の会」が「第1回全国お手玉遊び大会」を愛媛県新居浜市で開催したことを記念して、
このように定めたのだそうです。



愛媛県新居浜市といえば、
勇壮な太鼓台が練り合って喧嘩する「新居浜祭り」で有名ですね。



あの太鼓台の上に乗っている黒い枕がお手玉に似ているからなのでしょうか?



理由は定かではありませんが、
昭和63年8月に「新居浜アメニティ倶楽部」がお手玉の普及活動を開始し、
平成4年9月の「お手玉シンポジウム」にて、
「日本のお手玉の会」が誕生したのだとか。



そして、
「第1回 全国お手玉遊び大会」を開催し、
以降、
毎年大会を開いているそうです。















この大会は競技会で使われるお手玉は
「ざぶとん型」で国際公認企画なのだそうです。



こちらがわたくしが作った「ざぶとん型」のお手玉です。


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シルクのちりめんの余り布を使い、
中には小豆を入れました。



お手玉には色々な大きさ、形があって、
中に入れるものも、
大豆、小豆、数珠玉、玉蜀黍など、
色々と工夫次第で楽しめます。



また、
遊び方もいろいろあって、
いくつものお手玉を投げ上げたり、
拾ったり、手の甲で跳ね上げたり、
技の難度も様々です。













わたくしはほんの幼いころから本家に養女に行っていて、
大人ばかりに囲まれていましたから、
そういった遊びをして姉妹で競い合うということがありませんでした。



ですから、
残念ながら下手な部類に入ってしまいます。



実家の兄弟姉妹は年の近い者が多くて
競られて生活していましたから、
みんなそういったことが得意でしたので、
わたくしはいつも悔しい思いをしていました。



大人になって、
そういったこともないのですっかり安心していましたら、
そうもいきませんでした。



というのは、
趣味の会では、
私と同年代、或いは少し若い世代、もっと年上の世代と混じっていて、
みんなお手玉で遊んだ人たちなのです。



ですから、
休憩時間に誰かが蜜柑などを持ってこようものなら、
すぐにお手玉大会が始まるのです。



陶芸での手先の器用さにかけては、
わたくしの右に出る者はいまいと、
密かに埃に思っているのですが、
お手玉ばかりはどうしようもありません。



悔しいので後ろに引っ込んでいましたら、
物知りの知恵蔵さんが大変良いことを教えてくれました。



「お手玉」は「けん玉」等と同様に、
脳を活性化するので、
「うつ」や「認知症」の予防・改善にも効果が大きいのだそうです。



「だから、私は暇があったらやってるんだよ。

上手下手は関係ないから、小町さんもやってごらんよ」



そんな風に言われたので、
作ったのがこのお手玉なのでした。


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世界中のお手玉の歴史や作り方、遊び方など、
詳しくは「日本のお手玉の会」の公式サイトをご覧くださいね。

http://www.otedama.jp/index.html







そうだわ、
ピヨ子にも作って送ってやりましょうね。



わたくしに似て、
おっとり型でね、「お手玉」も下手だったのですよ。



今度会ったときに教授できるように、
わたくしはしっかり練習しておきます。


DSCN4729_mo.JPG



ではまた、ごきげんよう。。。




★楽天市場でお手玉を探す★



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2014年04月30日

2014.04.30.「荷風忌」。永井荷風の最後の晩餐って!?

2014.04.30.

「荷風忌」。永井荷風の最後の晩餐って!?


今日は4月30日ですね。

あのいかにも昭和という時代を彷彿とさせる作家の
永井荷風が亡くなった日ということで、
「荷風忌」として、
俳句の季語にもなっています。


永井荷風自身も俳句を詠んでいますね。

畸人とされた人らしい句です。



永き日やつばたれ下る古帽子

色町や真昼しづかに猫の恋

稲妻や世をすねてすむ竹の奥

葉桜や人に知られぬ昼あそび

紫陽花や身を持ちくづす庵の主



永井荷風は戦争で家を失い、
そこここと転々としながら生活していたのが、
最後には、
千葉県市川市に住み着き、
そこで生涯を終えました。

老人のひとり暮らしだった荷風が食べた最後の晩餐は
「カツ丼」だったとか。


稀代の変人作家・永井荷風の最後の晩餐のカツ丼

「荷風セット」を食べる「大黒屋」〜市川市本八幡




わたくしはかなり昔、
ピヨ子とこの「大黒屋」がある
「京成八幡駅」の近くを通ったことがありますよ。


確かに紺色の大きな暖簾に
「大黒家」と白抜きであったように記憶しています。

そう思ってみれば、
なんとはなしに、
風情のあるお店でした。




千葉県の市川市には、
国府台という台地に日本帝国陸軍の大きな施設があったので、
戦前まではとても栄えた土地柄だったそうです。


それで、
市川市には、
永井荷風を始め、幸田露伴や北原白秋、東山魁夷、井上ひさし、山下清など、
文化人が多く住んでいたとのことです。






Amazonで永井荷風


永井荷風が亡くなったのが
1959年(昭和34年)ですから、
今年でもう55年。

著作権も無くなったので、
数々の名作が無料で読めます。


Kindle だと無料





青空文庫でもかなりの作品が公開されていますね。



ああそうそう、
確か、押入れの中のダンボール箱に
ピヨ子が送ってきた本が沢山ありましたね。


あの中に、
永井荷風も入っていたような。。。

さっそく探して参りましょう。



ではまた、ごきげんよう。。。






posted by 八十路小町 at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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